石平はるひこ
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2012,10,14, Sunday
白山会館開館40周年記念イベントがありました。
本日、標記のイベントが10時から14時にかけて高田駅前通りの高陽荘で行われましたが、私も招かれ出席しました。
「白山会館」といっても、お分かりにならない方が多いと思いますが、知る人ぞ知る大変重要な施設です。
その証に、地元関係者のほかに村山市長、瀧澤市議会議長、市教育委員会の稲垣教育委員長や中野教育長、県教育庁上越教育事務所の柳所長、その他小・中学校の校長先生など、主に行政・教育関係者、約100人が集まりました。
白山会館は、上越市の条例で定められている公の施設(いわゆる教育集会所)で、昭和47年に施行された「上越市白山会館条例」では、「同和地区における同和対策事業を推進するため、地域住民の社会教育活動を助長し、もって同和問題の解決に寄与することを目的として、本市に会館を設置する」(第1条)と謳っています。
そして、40年の長きにわたって、部落差別解消の活動と人権・同和教育の上越市における拠点施設として、小中学生の学習会、教職員を中心とした現地学習会、さらには地域コミュニティ活動など地区住民をはじめ多くの人たちから活用されてきました。
この取組では、上越市が新潟県内の先導的な役割を果たしていることは周知の事実ですので、結果としてこの施設は、県内における拠点施設という位置づけにもなっています。
ここで少し解説をしておきますと、「同和地区」とは「被差別部落」とも言われ、歴史的・制度的に社会の最底辺に位置付けられて、言われなき(制度的・社会的)差別に苦しめられてきた集落(地域・地区)やその出身の人々のことです。(ブログという性格上、相当簡略化して言っていますので、言い足りない面はご容赦ください)。
また、「被差別部落」を単に「部落」と言って「部落差別」という言葉が一般化していますが、そもそも伝統的に使われてきた「部落」とは「集落」(昨今では「町内」)のことですので、その表現に接したときには混同しないような冷静さが必要です。
(誤解されると困りますので、もう少し説明を加えます。要するに「被差別部落(=部落)」という言葉に敏感になるあまり、伝統的に言い慣わされている「部落」という言葉を「集落」に言い換える風潮がありますが、そのような言い換えの必要はないばかりか、ときにはかえって差別を助長することにもなりかねない、ということを言いたいのです。)
上記の「同和地区=被差別部落」ということから考えを進めると、「同和対策」とは、「部落差別をなくすための法制度的・物的・人的対策」ということであり、「同和教育」とは「部落差別をしない(させない)ようにするための人権教育」ということになります。
したがって、「同和対策」も「同和教育」も、本来は、「同和地区」(被差別部落)のための対策というよりは(当然その部分もありますが)、それ以外の社会一般に対する対策の方が圧倒的に多い(大きい)ということが言えます。
ですから、自分には関係ない何か遠くの話なのではなく、「差別をしない、させない」ようにするための私自身の問題(課題)であり、あなた自身の問題(課題)なのです。
少し解説が長かったでしょうか。
ところで、私は、議員として、議長のほかに議会で唯一出席しましたが、 それには理由があります。
実は、議員である前に私自身、白山会館の地元住民との40数年間の長く深いおつきあいがあるためです。
そのおつきあいの中身は、ここでは割愛しますが、特に少年の頃の経験を通して、私の活動の原点である人権尊重の考え方や命を大切にすること、弱いものを守る(強きをくじき弱きを助ける)ことの姿勢が育まれたと考えています。
ですから、議員になってからの活動経歴を見てもらえばわかるように、長いものに巻かれることなく、あるいは強いものにやみくもに迎合することなく、ときには孤高を保っても、市民の命(健康)や権利を守るために率先して頑張ってきました。
具体的には、先頭に立って上越地域住民の命の飲み水を守るため、水道水源地のゴルフ場開発や水道水源隣接地の産業廃棄物処分場建設をやめさせたこと。
私の発意と起草により、いわゆる「人権条例」や「人にやさしいまちづくり条例」などを制定するとともに人権総合計画などを策定し、それに基づき全庁全分野で継続的に取り組むように道筋をつけたこと。
非核平和、環境、男女共同参画、人権などの都市宣言や制度政策の確立に率先して取り組んできたこと。
10数年前にいち早く原子力発電の安全神話を議会で批判し、抜本的な原子力災害対策の必要性を訴えてきたこと。
そのことの結果として、4年前に、立地自治体以外で県内で唯一、地域防災計画の中に原子力災害対策を位置付けさせたこと。
また、3・11の原発震災後一早く、私の発意と起草により、全国で初めて脱原発の総合的な政策を網羅した意見書を議会で採択し、国に向かって訴えたこと。
自治基本条例の制定に率先して取り組み、人権尊重、非核平和、地球環境、地域特性尊重などの自治の基本理念を規定したこと。
などなどです。
また回顧をしてしまいました。
さて、本日に話を戻しましょう。
イベントは3部に分かれていました。
第1部は記念式典、第2部が記念講演、第3部が記念パーティーです。
第1部の記念式典
は、寺田実行委員長のあいさつの後、副実行委員長で白山会館地元の部落解放同盟上越支部の渡辺支部長があいさつしました。
渡辺さんは、長く厳しかった過去の歴史を振り返り、先人の運動に敬意を表しながら、依然として差別事件が後を絶たない中で人権侵害救済制度の確立が急務であると訴え、そのような中で白山会館が今後も同和行政と同和教育行政を進展させる「解放の場」であり続けること、そして、後輩たちに責任を持って「よき日」になったと言えるよう取り組んでいきたい、と決意を述べました。
あいさつする渡辺支部長。手前が寺田実行委員長、奥が手前から村山市長、瀧澤議長、講師の長谷川委員長
続く来賓のあいさつでは、代表して村山市長と瀧澤議長が行いました。
村山市長は、白山会館が同和教育の一大拠点として県内の同和教育の推進に大きな役割を果たしてきたとして、部落解放同盟上越支部や白山会館運営委員会、学校関係者などの尽力に深く敬意を表しました。そして市のこれまでの取組を紹介しながら、これからもたゆみない取組を続けていくと決意を述べました。
瀧澤議長は、市役所在職中に白山会館事業に関わったエピ-ソードを交えながら、地区住民との交流を通じて人権・同和問題について多くのことを学んだと振り返り、市長同様、関係者の尽力に深い敬意と感謝を述べました。そして、人権侵害救済法の早期制定の意見書を採択し国等へ訴えたことなど、これまでの議会の取組を披露しながら、偏見・差別のない社会を一日も早く実現するために市と協力して取り組んでいく、と決意を述べました。
式典の最後に、「青年の思い」と題して、地元の女性の手記が朗読されました。
小学1年生の頃から白山会館の勉強会に参加し楽しい思い出がたくさんあること。しかし、そのころは全く部落(差別問題)のことを知らなかったこと。
大きくなって結婚差別という大変厳しくつらい目に遭い一度は「死」も考えたこと。しかし同じ年代の青年たちの支えがあり乗り越えたこと。
今は結婚し母親となっていること。
などの自身の人生を率直に語りながら、最後に、白山会館を、部落出身を自覚し現実の厳しい差別に立ち向かっていく活動拠点にしていってほしい、と提起しました。
私は、改めて差別の現実を目の当たりにしたと同時に、未来志向で物事を変えていこうとする青年の積極的な意欲を感じ、とても感銘を受けました。
そして、白山会館の活動について、まだ克服すべき課題のあることも感じ取ることができました。
最前列の左から私、2席置いて次に稲垣教育委員長、中野教育長、秀澤教育部長
第2部の記念講演
は、部落解放同盟新潟県連合会の長谷川委員長が、「部落の完全解放をめざして~亀井喜代二氏の思いによせて~」と題して行いました。
記念講演会全景
講演する長谷川委員長
長谷川氏は、新潟県の「解放の父」と言われる部落解放同盟高田支部(現上越支部)の初代支部長で県連(準備会)委員長(実質的に県連の初代委員長)の故・亀井喜代二氏の思いを重ねながら、これまでの新潟県内の部落解放運動の歴史を回顧し、その意義と今後の課題について語りました。
新潟県は解放運動の最北端の地で、かつ少数点在部落という形態の中で部落差別が社会問題化しづらく、寝た子を起こすなという考え方が強い地域であること。
そのような中、1969年の「同和対策特別措置法」の成立を機に当時の高田市の被差別部落から組織的な運動が始まっていったこと。
白山会館開館と同じ年の柿崎中学校の部落差別事件に対する取組が、県内における同和行政や同和教育が開始される歴史的契機となったこと。
差別を許さない連帯の広がりが被差別部落の元気を作り出し、各地の支部結成や県連結成、さらには県内の同和行政、同和教育の進展に結び付いていったこと。
などを明らかにしながら、
「解放行政」「解放教育」の目標と課題を提起しました。(運動の側では「同和行政」「同和教育」のことを、主にこのように言っています。)
すなわち
すべての生徒に学力と進路を保障する教育
差別を許さない人間をはぐくむ教育
同和地区の子どもの自信と誇りを育む教育
同和問題学習のさらなる強化
差別の現実に学ぶ
部落の人々が果たした役割の評価と理解
人権侵害救済法の早期制定
第3次上越市人権総合計画の県内への普遍化
などです。
そして、まとめとして、
亀井喜代二さんの思いを忘れることなく、反差別の実践者、改革者、牽引者になろう。
日々関わる同和教育の実践で、子どもたちにさらなる輝きと笑顔をもたらそう。
などと結びました。
蛇足ですが、私の節々での取組も覚えていてくれて、講演の中で3回も私の名前が出てきました。うれしいやら気恥ずかしいやら、でした。
一度目は、上記の柿崎中学校の差別事件に取り組んだ件、二度目は、長岡市において新潟県で初めて部落解放研究集会を開催した件です。
いずれも、私が中心になって尽力したもので、新潟県の同和行政、同和教育、そして解放運動にとって歴史的な画期をなすものでした。
「今は昔」の感があり、なつかしい話です。
そして最後は、まとめのところで「よき日」に向けた思いを共有するという意味だったと思います。
第3部の記念パーティー
は、渡辺副実行委員長のあいさつと稲垣教育委員長の乾杯で始まりました。
途中で、3人の来賓からスピーチを、ということで、最初に私が指名されました。
私は、開館40周年のお祝いと、これまでの白山会館をめぐる関係者の尽力に敬意と感謝の意をあらわしました。
また、長谷川委員長には、示唆に富む講演をいただいたことに感謝し、今後の活躍をお祈りしました。
さらに、「私事ですが」と前置きし、地区の皆さんに対し白山会館よりも長い間(40数年間)のお付き合いに感謝し、今後も連携しながら差別解消にむけて取り組んでいきたいと決意を述べました。
最後に、そろそろ次世代の整備が必要ではないか、と木造の白山会館に水を向け、すでに市長、議長は中座していましたが、両脇に教育委員長と教育長が陣取っておられるので、ぜひ善処をお願いしたい、と結びました。
だいぶ酒が入っていたので、笑いは取ったようですが、きらりと光る話にはならなかったようです。
以上、この辺で報告は終わりにします。
渡辺支部長(副実行委員長)のあいさつ。右奥の右から2人目が私
私のスピーチ(酒でだいぶいい機嫌の様子)
記念パーティー全景(スピーチは私)
その他もろもろ::2012年
| 08:50 PM |
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石平 春彦
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