石平はるひこ
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2014,10,21, Tuesday
川室京子さんのご冥福をお祈りいたします
本日、10時30分から、大町セレモニールームで、公益社団法人上越国際交流協会専務理事の川室京子さんの葬儀・告別式があり、つれあいとともに参列しました。
上越地方の国際化・多文化共生と国際理解教育にとって本当に大事な人を失ってしまいました。
悲しみに堪えません。
心からのご冥福をお祈り申し上げますとともに、ご遺志を継いで多文化共生の取組をさらに推進していくことをお誓い申し上げます。
川室さんは、まもなく設立20周年を迎える国際交流協会の創立者のひとりであり、文字通り協会とともに生き、協会を支え、発展させ、導いてきた偉大な人でした。
私が川室さんに初めてお会いしたのは、国際交流協会ができるずっと以前のことです。
当時、私が市政のキーパーソンであることを推測されていたのでしょう。あるいは私の活動スタイルに信頼をおかれていたのかもしれません。
ある友人を介して打診がありお会いしましたが、上越市の国際化・多文化共生の課題についての思いを切々と訴えておられたことを、いまでも昨日のように鮮明に覚えています。
このこともあり、私は国際化先進地の福岡市(財団法人福岡国際交流協会)などに視察に行き、その調査結果などをもとに当時の宮越市長に直接、国際化推進の体制整備を提案しました。
要するに、国際交流協会の設立や庁内推進体制の整備、事業の予算化などを直談判したのでした。
当時、福岡市視察で持ち帰った財団法人福岡国際交流協会のパンフレット表紙と裏表紙(1994年2月発行)
市長は、その時、「そうだな」と答えましたが、フットワークの良い市長らしく決断するとあっという間、早くも翌年1996年の3月には、自らが会長となって官民組織「上越国際交流協会」を立ち上げました。
私は、市長が自ら会長になるとは考えていませんでしたので、ちょっと戸惑いましたが、しかし、上越市が国際化の推進に大きく舵を切ることになったのですから、結果として良かったと言えるかもしれません。
この設立の準備過程から、川室さんに尽力していただき、市、商工会議所、市議会、上教大などの代表が役員となった、どちらかというと頭でっかちの組織体制の中で、実質的な運営責任者として設立時から副幹事長、そして市長が会長を退いて民間組織への移行期の2002年度からは幹事長、2004年度からは会長(または理事長)として、さらに2010年度からは専務理事として、協会の大黒柱で頑張っていただきました。
下の写真は、川室さんが会長の時に手掛けた記念誌「上越国際交流協会 10年のあゆみ」の表紙と挨拶文です。
川室会長のこの活動にかける思いの一端があらわれているものとして謹んでご紹介します。(拡大してご覧ください。)
ちなみに、私は、言いだしっぺの責任として設立時から会員となり、2期の議長時には充て職として理事も務め、その後も川室さんからご相談やご助言をいただきながら、節々で国際化の体制整備や国際交流協会への財政支援等について議会内外で問題提起してきました。
2008年からは、一議員の立場にもかかわらず、「団体の長」のお歴々に交じって顧問に委嘱されていますが、上記のようなささやかな取組によるものだと理解しています。
このような中、上越地域の国際化推進の功績と感謝の思いを込めて、昨年の上越市表彰の候補者として私の発意で行政に提案させていただきましたが、これを受けて市の所管部局長の推薦により表彰されたのでした。
川室さん自身は、表彰は柄に合わないと思われたようでしたが、私たちの思いを受け止めていただきました。
しかし、こんなに早く先立たれるとは、思ってもいませんでした。
とてもとても残念です。
重ねて、ご冥福をお祈り申し上げます。
その他もろもろ::2014年
| 08:51 PM |
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石平 春彦
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