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石平はるひこ ごあいさつ

 皆さま、こんにちは。上越市議会議員の石平はるひこ(春彦)です。
 はじめまして、の方(かた)の方(ほう)が圧倒的に多いでしょうね。
 以後、お見知りおきを、よろしくお願い申し上げます。

 私は、職業上(職業は、不安定ではありますがやりがいのある市議会議員です)、上越市民の皆さまへの語りかけが多くなると思いますが、逆にアクセスは、インターネットの性格上、あるいは私の研究活動などのネットワークの関係上、全国(市外)からのものが多くなると考えられます。そのことについても十分認識しながら運営するとともに、できる限り更新していきたいと思います。
 皆さまからの忌憚のない、かつ建設的なご意見、ご批判を、お待ちしています。

 さて、早いもので、議員6期目の任期も残すところわずかとなりました。改選期を間近に控えて押し迫ったこの時期に、久しく念願していた自身のホームページをようやく開設することができました。大変感慨深く喜びにたえません。ご協力いただいた関係者の方々に心から感謝申し上げます。

 実は、ずいぶん前からホームページを立ち上げようと考えていて、10年以上も前にドメインを取得していましたが、忙しさにかまけて果たせませんでした。
 振り返れば、私がインターネットに本格的に関わったのは、忌まわしい阪神淡路大震災のあった1995年のことです。上越市が「インターネット普及促進事業」を実施することになり、市民参画(ボランティア)によるホームページの作成を企図し公募したことから、その「WWWサーバ運営委員」に手を挙げたことが始まりでした。

 


 大した技術も経験もないことから12人の委員の末席を汚すことになりましたが、それでも、上越市の魅力を自らの手で世界に発信したいという強い思いから軽薄にも手を挙げてしまった責任を何とか果たすべく、一生懸命に汗をかきました。
 そこで私の担当したのが、「歴史・文化」欄の「上越が生んだ戦国の名将=上杉謙信」でした。ここに私が作成した冒頭部分を掲げますが、「天下のKENSHIN」――見出しからして当時のボランティアの意気込みというか気負いが感じられますね。これが議員2期目の私の姿の一面です。

 議員4期目には、歴代最年少の議長として弊習の打破と未来志向で数々の議会改革を断行しました。その一環として上越市議会のホームページを立ち上げ、全国的にもめずらしかった高機能の会議録検索システムを導入し現在に至っています。
 また、その後、本会議だけでなく各種委員会も市民の皆さまに広く公開するためにと、インターネットでの放映を提案しましたが、この点は残念ながら実現には至っていません。

 上越市のホームページのことに戻りますが、私たちの作成したものを第一世代とすると、第2世代からは専門業者への委託となり、現在(昨年4月から)は第三世代になっています。時代の進展とともに内容は圧倒的に多くなり、それだけ市民生活に役立つことも桁違いに多くなったと思いますが、はたして理想を高く追求したり物事の神髄(魂)を深く追究したりするものや、ほとばしるような情熱が感じられるものはどうなっているのかなど、ちょっと寂しさを感じます。

 インターネットとの関わりの中で、とりとめもないことを述べてきましたが、巡り巡ってようやく自身のホームページにたどり着いたというのが、最初に述べた「感慨」の意味です。そして、私のホームページでは、第一世代の私が求めたように、最後に述べた点を忘れないで大切にしていきたいというのが、ここでの落ちになりましょうか。

 さて、私は、議員生活6期24年間、人権、環境、自治などの分野で「有言実行」を旨として時代を切り開くような取組を積み重ねてきました。私自身は、振り返ってそう自負しています。(具体的には、「活動の軌跡」や「プロフィール」をご覧ください。)
 もちろん本当の評価は市民の皆さまの胸の内にあり、もっと言えば「歴史」、あるいは「将来世代」の判定に委ねるところと言えるかもしれません。

 不十分なことや反省すべき点も数多くあったと感じていますが、課題に直面(を認識)したとき、必ずしも将来を洞察したレベルには達していなかったとしても哲学と信念を持ち、少なくともそれを回避せずに真正面から受けて立ち、調査研究や考察を通じて政策にまで高め、必要なことや普遍的なことはたとえ議会の「ムラ社会」の中で孤高を保ってでもねばり強く取り組んできたことが、結果として時代を画するような軌跡を生み出すことができたものと感じています。

 そして、それらの諸々のことを含めて活動の軌跡と実績を市民の皆さまに明らかにすることを、自らに課してもきました。それは、今はやりの「説明責任」という言葉でも説明は付きますが、私の場合そうではなく、そのことが信頼関係を築く大本であり、市民の皆さまにとって(議員・政治家の)今後の行動を占う証になるはずだと固く信じてきたからです。

 しかし、誤解を恐れずに言えば、私のこの思いが必ずしも多くの市民の皆さまに理解されているとは言えないことが、厳しい現実でもあります。
 つまり、「今まで何をやってきたか(市民にとって重要な「あのこと」をやってきたか)」や「いざというときに信ずるに足るものかどうか」を見極めることよりも、その時々の時流に乗った耳障りのいい「あれもします」「これもします」という不確実性のフレーズの方に重きを置いて判断してしまう風潮があるのではないかということです。それもまた、「民主主義」の世ではありますが。

 いずれにしても、私は、この信念を貫き通します。あくまでも市民の皆さまの深いご理解を求めて。人権や人の命・健康に関すること、安全安心に関すること、自治(自主・自律・自決)の仕組みを守り育てること。このことの有言実行こそ政治家にとって最も大切なことであることを。その上で、元気の元を培い、地域再生・活性化の戦略を打ち立て実践していかなければならないことは、言うまでもありません。

 以上のような思いを踏まえ、以下、過去4年間の活動のまとめである「市政報告 第37号」に添えた挨拶の一文を掲げ、結びと致します。

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 私にとりましては、前へ向かってひたすら走り続けた4年間でしたが、振り返ってみればあっという間の出来事だったように感じております。
 合併に魂を吹き込むための地域自治区・地域協議会制度の充実や自治基本条例、議会基本条例の制定など、地域主権改革を先導する全国モデルとしての新しい自治の仕組みを創り出す取り組み。あるいは厳しい財政環境を克服するための行財政改革の取り組み。そして行政の怠慢や強権的姿勢を厳しく批判し是正する取り組み等々。
 一方では、平成27年春に開業を迎える北陸新幹線の新駅周辺整備や開業を見すえた全市的な地域活性化の戦略構築等々、上越市の未来を拓くための骨格となる基本政策に対し、私は積極的に提言・実践し、文字通りその先導的役割を果たしてきたと自負しております。
 そのような中、昨年の3・11東日本大震災と未曾有の原発過酷事故、そして翌日の長野県北部地震に遭遇し、当市も根底から危機管理能力が試される事態となりました。私は災害復旧対策に奔走する一方、原子力災害対策などの安全安心のための体制整備に向けて議会内外で必死の取り組みを行ってきました。その取り組みは今後も続きます。
 さて本年は、私にとって更なる飛躍の年であります。ふるさとの元気と安全安心のために、今後も初心を忘れず、誠心誠意、全身全霊を傾けて頑張り抜きますので、変わらぬご支援ご協力を賜りますようお願い申し上げます。
 末筆ながら皆さまのますますのご健勝とご多幸を心よりお祈り申し上げます。

 

平成24年1月
上越市議会議員
石平はるひこ